最近は、中国政府の日本政権批判が激しくなっておりますが、先日、世界経済の現状を身近に体験しておられる方のお話しを聞いて納得できたことがあります。
それは国内に異常なほどの不満を抱えているために、問題の矛先を外国に向ける必要があるという独裁政権の歪みです。
中国の習近平主席が韓国の大統領に「自分たちは日本の軍国主義に勝利した同志である」と話しをしているのを聞いて、多くの日本人は驚いたと思います。
それは何よりも、国内の人々に中国共産党の戦後の歩みのアピールする発言であることは明らかです。中国経済の問題は以下のように語られています。
- 最近の若者(16–24歳)の失業率が18.9%にもなっている。
- 中国には12億人の人口に対して30億人の入居物件があり、不動産バルブ崩壊の底がまったく見えない。
- 建設業の直近の設備投資は前年比マイナス17%にもなっている。
- 地方財政がひっ迫し、地方政府での賃金の未払い問題が起きている。
- 現在はさらにEV(電気)自動車の急拡大の反動で、EVバブル崩壊が起きそう。
- 1990年代の日本経済のバブル崩壊によるデフレ経済突入よりはるかに厳しい状況にある。
- 現実の経済統計が権力者を気遣って歪められており、権力者は実態を把握できていない。
その他、少し調べただけでも、中国経済の危なさが明らかになっています。
僕が47年前に冷戦下の東ベルリンを訪ねたとき、そこのガイドさんが「私たちの国には失業者はいません!」と満面の笑みで語っていました。一瞬、僕は「それは素晴らしい」と思ったのですが、当時の西ドイツに戻って、東側からの亡命者にその話をしたら、「あなたはなんて愚かなの。それは職業選択の自由がないということとセットなのよ」と言われて、ハッとしたことがあります。
その後、旧ソ連圏の経済が破綻する中で、中国共産党は自由市場経済へと大きく舵を切りました。それによって大きな発展を遂げましたが、一方で、中央政府の号令ですべてを動かす体制も残っており、それが不動産バブルとか、今始まろうとしているEV自動車バブルへと結びついています。
それは、共産党政権が自分たちを神の立場に置くことの矛盾とも言えましょう。
以下の詩篇103篇には、目に見えない神のご支配が美しく描かれています。
詩篇103篇6–14節「あわれみに満ちた神」
「主 (ヤハウェ) は 義とさばきを すべての虐げられている人々のために行なわれる」(6節)とは、7節からも明らかなように、イスラエルがエジプトで奴隷として虐げられていた状態からの解放を指します。
それこそが聖書の「救い」の原型です。なお、主の「義とさばき」を自分の罪に向けられるものとして過度に恐れる人がいるかもしれませんが、このことばは聖書では、神の民が苦しみの中で「主に叫ぶ」と、主が敵をさばいて救ってくださるという意味で用いられる場合がほとんどです。
「義」は英語で righteousness と訳されますが、それは神が私たちとの正(義)しい関係 (right relatedness) を築くことを目的としているとも解釈できます。そのために神は、イスラエルの罪に対しては、忍耐に忍耐を重ねて、彼らにご自身の愛と真実を示し続けられたと記されています。
8–12節は、主の聖なるご性質を美しく描いたものです。かつてモーセが、イスラエルの民の不従順に耐えかね、主ご自身がともに歩んでくださることの保証を求める意味で、「あなたの栄光を私に見せてください」と願ったときのことです。
主(ヤハウェ)は雲の中にあってモーセのもとに降りて来られ、彼の前を通り過ぎるとき、「主 (ヤハウェ)、主 (ヤハウェ) は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのに遅く、恵みとまことに富み、恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す」(出エジ34:6、7) と宣言されました。
そのときのことばがここでほとんどそのまま繰り返されています。つまり、神の栄光とは「あわれみ深く、情け深い……恵みとまことに富み」という神のご性質のうちに表わされるというのです。
さらにダビデは10、12節で「罪」「咎」「背きの罪」という罪の三つの類語を用いながら、「主 (ヤハウェ) は……私たちの罪にしたがって私たちを扱おうとはされず……咎にしたがって……報いをされることもない……東が西から遠く離れているように……私たちの背きの罪を私たちから遠く離される」と記します。
私たちはみな、自分で自分を信じることができないような面がありますから、「あなたの信仰によって、罪が赦されます」と言われても、「私の中には、赦されるにふさわしいような信仰はない……」とかえって落ち込むことになりかねません。しかし、信仰は自分の中からではなく、神ご自身の愛の眼差しから生まれたものです。その愛に身を任せることこそ信仰の歩みの出発点です。
なお主の「御恵み」と「あわれみ」は、「主を恐れる者」(11、13節) の上に注がれると記されますが、それは神の厳しいさばきを恐れるというより、私たちが自分の「成り立ちを知り……土のちりに過ぎないことを」(14節) 自覚することに他なりません。
名曲 Amazing Grace「驚くべき恵み」では奴隷船の船長であったジョン・ニュートンが、自分の歩みを振り返りながら、「驚くべき恵み。何と麗しい響きか!それは私のような『ならず者』を救ってくれた。私はかつて失われていたが、今は見つけ出された」と心から歌っています。
そして、二番目の詩では、「恵みこそが私の心に恐れることを教え、また恵みが私の恐れを和らげた」と歌われています。研ぎ澄まされた「恐れ」の感情の中で、真に恐れるべき方と出会うなら、この世の恐れから解き放たれることができます。私たちは一瞬一瞬、「何を恐れ、どなたを恐れて生きているのか?」と問われています。
【祈り】主よ、あなたは「虐げられている人々」のために「義とさばき」を行ってくださる神であられます。ですから、私たちはこの世の人々を恐れて生きる必要はありません。真の意味で神を恐れることを教え、この世の恐れから解放してください。

