詩篇107篇〜財政赤字不安が市場に

 僕はこの教会で嬉しく思うのは、この小さな群れに、本当に多彩な政治思想を持つ方が集っておられることです。あまり表面には見えませんが、実は、本当に異なった背景の方が集まって、ともに礼拝できています。
 ただ、今回の衆議院選挙の公約で、ほぼすべての政党がそろって消費税減税を主張し、その一方で日本の長期金利が急騰していることに、ほぼすべての政党が沈黙していることには首をかしげざるを得ません。
 先週も書きましたように、長期金利が上がると、多額の日本国債を保有している中小の地方銀行などが、大変な含み損を抱えて、それが中小企業の資金繰りにまで悪影響を及ぼすことになります。長期金利の急騰は、経済全体に驚くべき悪影響をもたらす不安要因なのです。

 2022年に英国に誕生したトラス政権は49日の在任期間で退陣せざるを得なくなりました。彼女が発表した減税政策によって長期金利が急騰し、ポンドが急落したからです。彼女の最後の仕事はエリザベス女王の葬儀の際に、政府を代表して聖書を朗読することでした。
 最近の米国は、グリーンランド問題で世界の金融市場を混乱に陥れたと非難されていますが、その米国の財務大臣から、世界的な金利の高騰には日本の問題も大きく作用していると言われたことには、本当に驚かされました。

 僕はちょうど五年前に、舟の右側という月刊誌に、「財政赤字の神話ー現代貨幣理論 (MMT)」についての要約を書かせていただきました。その頃は、まさにコロナ不況の入り口で、積極的な財政政策が求められている時期でした。
 しかし、今や、物価の上昇が問題になり、各企業とも賃上げに驚くほど前向きになっている時期です。このような時期に、財政赤字を増やすような政策は、あらゆる経済学理論に反するはずです。
 ところが、日本の雰囲気は、2023年5月に発行された「ザイム真理教」という財務省を徹底的に批判するような本がベストセラーになり、驚くほど多くの日本人が財務省による財政赤字の拡大への懸念を信じなくなってきています。
 そして、今頃になって、現代貨幣理論を持ち出して、財政赤字は心配がないなどと素人の政治家が堂々と意見を言うようになっています。
 しかし、現代貨幣理論が強調していたのは、政府の責任は財政赤字を警戒する以上に、国民に夢を与えるような前向きな政策を提示することと、インフレ率を始め、市場経済のとの対話を深めながら、柔軟な政策を行うことに他なりません。その肝心の部分が忘れられて、財政赤字の懸念は財務省の謀略だというような主張には、本当に首をかしげたくなります。

 以下の詩篇107篇は、人間が自分の知恵を誇ることへの戒めです。不安に思うべきことを真正面から受け止め、全能の主に祈ることこそ、信仰の核心です。

詩篇107篇17–22、39–43節「知恵のある者はだれか」

 この詩篇の3節では「国々から彼らを集められた。東からも西からも、北からも南からも」と記されていますが、これは明らかにイスラエルの民が不従順のゆえに神のさばきを受けて、約束の地から追い出されたバビロン捕囚からの解放の希望を描いたものです。
 そして四方から集められるということを前提に、4–9節、10–16節、17–22節、23–32節の四回にわたって彼らが苦しみのただ中から、主によって救い出されるようすが描かれます。
 そのたびにほとんど同じことば、「この苦しみのときに 彼らが主 (ヤハウェ) に向かって叫ぶと 主は彼らを苦悩から救われた」(19節) という表現が繰り返されます。

 第二と第三の歌では自業自得の「苦悩から」の「救い」というテーマが際立っており、第三の17節では、「愚か者は 自分の背きの道のため また 咎のために苦しみを受けた」と描かれます。
 続く18節の「あらゆる食物を 彼らの喉は受けつけず ついに死の門に至った」と描かれる状況は解釈が分かれます。以前の訳では、「彼らのたましいは、あらゆる食物を忌みきらい」と記されていましたが、その方が原文をそのまま表現しているとも言えます。その原因は、身体が衰弱し過ぎたためなのか、置かれた環境を心から忌み嫌ったせいかは分かりません。
 僕の母もこの僕を胎に宿す前、重い病の中で「食欲を失いながら、このまま死んでしまいたい」と思ったことがあると言っていました。それは残念ながら、自分が嫁いできた家を忌みきらっていたことの表れだったようです。しかし、この私を出産したことによって、自分の置かれた環境を、自分のできる範囲で変えて行こうという気持ちに変えられて行ったと語ってくれました。
 とにかく、人間は、将来への希望が見えないと、苦悩の中で、「あらゆる食物を忌みきらう」ということが起きることがあります。とくに自業自得の苦しみの場合は絶望感に圧倒されがちでしょう。
 
 しかし、全能の神を知っている者は、「苦しみのときに」「叫ぶ」ことができます。それは自業自得の「苦悩」であると分かっていても、放蕩息子が父の家を思い起こしたように、神の「あわれみ」を知っているからこそ、立ち返ることができます。
 それに対し、「主はみことばを送って彼らを癒し、滅びの穴から彼らを助け出された」(20節) という不思議が起きます。それは放蕩息子が、「我に返って」「父のところには、パンのあり余っている雇い人が、何と大勢いることか」と思い起こしたようなものです (ルカ15:17)。
 そして、「主 (ヤハウェ) に感謝せよ。その恵みのゆえに」とありますが、これも四つの歌すべてで繰り返されることばです (8、15、21、31節)。
 「恵み」とは「ヘセド:不変の愛」を意味し、1節では「主 (ヤハウェ) に感謝せよ……その恵みはとこしえまで」と歌われました。
 
 39–43節では主が、自分の力を誇っている「君主たち」を「低くし」、「貧しい者を……高く上げ」という逆転を起こされることが強調されます (40、41節)。
 主に向かって「直ぐな人」は「それを見て喜び」ます (42節)。最後に「知恵のある者はだれか」(43節) という問いかけがなされます。
 それは、これらの主の数々のみわざを思い起こし、「主 (ヤハウェ) の恵み(ヘセド:不変の愛)」を「見極め」ることができる人です。主がご自身の契約の民を苦難に合わせるのは、主の契約の真実を彼らに思い起こさせるためなのです。


【祈り】「主はその愛する者を……ご自分の聖さにあずからせようとして訓練される」(ヘブル12:6、10) と記されていることを感謝します。自業自得の苦悩の中でも、主よ、あなたの「恵み(ヘセド:不変の愛)」を思い起こして、生ける希望を持たせてください。