今回の衆議院議員選挙で自民党が大勝したことに日本の多くのキリスト教指導者たちは危機感を抱いています。
それは自民党の中心に という集まりがあり、日本の神社本庁という神道の総本山との密接な関係にあるからです。
また、右翼的な思想で有名な のメンバーとこれは深い関係にあります。
ただ、興味深いのは、ご自身のキリスト教信仰を大切にしているはずの前石破茂総理大臣も上記の神道政治連盟懇談会のメンバーであり、また最近までは日本会議にも属していました。石破茂さんが総理職を務めた最後に戦後80年談話を公表しましたが、それには日本会議は強く反発していたようで、そのために彼は日本会議を抜けたのかもしれません。
高市早苗首相は、小さなころから教育勅語を暗唱していたことで有名な方ですから、当然、上記の二つの団体と密接な関係にあります。
創価学会を支持母体とする公明党が自民党と連立を組んでいたときには、彼らは当然そのような右翼的な思想に批判的ですから、バランスを取ることができていたのかもしれません。
しかし、今回、自民との連立を脱した公明党主導で中道改革連合が大敗を喫したことによって、日本の宗教的なバランスは大きく変わりました。立憲民主党を支持して来られた方々は、創価学会の動きに警戒心を持つ方も多く、それが彼らの大敗につながったということかと思われます。
ただ、この新しく生まれた中道改革連合に賛成できない方には、別の選択肢もあったわけで、それらの方々が高市政権を初めとする保守的な政党に投票したこと、しかも、そこに多くの若い世代が高市政権を支持する側に回ったということに、日本の大きな変化を見ることができます。
多くの中高年の方々は、「若い人は戦争の悲劇を知らないから」とか「若い人は日本の昔の思想統制を知らないから」と批判しますが、ひょっとしたら、そのような中高年の見方こそが、「時代遅れ」なのかもしれません。
多くの若い人々は、この日本の将来を別の意味で憂いています。戦後に築かれた規制だらけの日本の経済構造が、世界の流れについて行けていないということに危機意識を覚えています。
今、多くの人が恐れているのは、戦前のような時代に立ち返るという過去の失敗の繰り返しではなく、このままでは、日本の未来が、国際競争について行けないということかもしれません。私たちは歴史から学ぶことは本当に大切ですが、過去の失敗よりも、そこから生まれた戦後80年の体制を見直す必要があるという、今このときに多くの人の目が向かっているように思います。
私たちは時代の流れを見ることは大切ですが、それと同時に、「今ここで、どのように生きるか」ということこそ、永遠に問われていることだということを忘れてはなりません。それこそ詩篇112篇のテーマです。
詩篇112篇1–10節「光は闇の中に輝き昇る」
この詩篇は先の111篇とセットに読まれると意味が良くわかります。ある人は詩篇111篇を、すべての人に向けて神の偉大さを語る大きな物語として定義し、112篇を、主を恐れることの幸いを個々人の日々の生活に教える小さな物語と定義しています。
1節の2行目は「幸いなことよ、主 (ヤハウェ) を恐れることは」から始まり、「その仰せを喜ぶ人は」と続きます。ここに描かれていることは、主を恐れる生き方を実行するようにと奨励することというよりも、その「幸い」を様々な角度から描写することです。
2節は「勇士となる」という約束から始まり、「直ぐな人たちの世代は祝福されると」続きます。
また3節ではその前半と後半が「繁栄」と「義」ということばから始まり、「主を恐れる」「直ぐな生き方」の祝福が描かれます。
以前は、地獄の恐怖から、主を恐れるように勧める福音の提示が盛んな時代もあったかもしれませんが、アブラハムの物語から始まる信仰者の歩みは、主に従うことの「幸い」から描かれているのです。
そして4節は「輝き昇る、光は闇の中に、直ぐな人たちのために」という語順で記されます。2節にも描かれた神に向かって「直ぐな人」の歩みは、闇の中に「光が輝き昇る」ようなダイナミックなものとなるというのです。
またその後半は「情け深い」という主のご性質から始まります。「主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる」からこそ、主に従う者の「義は永遠に堅く立つ」(3節) と断言できるのです。
5節は「幸せ」というより「善い (トーブ)」と直訳できることばから始まり、「情け深く 人に貸し 公正に扱う」ことが、人間的な幸不幸を超えた、神に喜ばれる生き方として描かれ、そこに「とこしえまでも揺るがされない」ことと「とこしえに覚えられる」という祝福が約束されます (6節)。
続けてその人の心の状態が「悪い知らせを恐れず、心は揺るがない、主への信頼の中で」と描かれ、「心」の「堅固さ」が、「自分の敵」に動じなくなるまでに安定すると記されます (8節)。
それらはすべて神が約束しておられる成長であることを忘れてはなりません。さらにその人の生き方が「彼は貧しい人に惜しみなく分け与えた」と評価され、「彼の義は永遠に堅く立ち」と「彼の角は高く上げられる」と描かれます (9節)。
この地では私たちの善意が誤解されることもありますが、ここでは「とこしえ」や「永遠」の視点が強調されています。私たちは時に、あまりにも一時的なこの世の評価に一喜一憂し過ぎているのではないでしょうか。
それと正反対なのが10節で、そこでは「悪しき者は」という言葉から始まり、その「歯ぎしり」するさまや、その「願い」が「滅び失せる」という空しさが描かれます。
私たちはたしかにこの世界で、悪しき者の繁栄と、正しい人のわざわいを見て、主を恐れ、主に向かってまっすぐに生きることの空しさを覚えることがあります。しかし、それは主の永遠の視点から見たら、ごく一時的な不条理にすぎません。
詩篇1篇にも記されたことですが、悪しき者と正しい者との結末は、やがて天と地の差として現わされます。「神は、また人の心に永遠を与えられた」(伝道者3:11) と記されているように、私たちはそのような「永遠」の視点から自分の人生を見ることができるのです。
【祈り】主よ、このアルファベットの歌が、イスラエルの民の心を「主に信頼する」方向へと整えてきた歴史を覚えます。主に向かって「直ぐな人」と呼ばれる生き方を全うさせてください。主を恐れる生き方の「幸い」を口ずさむ者とさせてください。

