詩篇115篇〜オリンピック・フィギュアスケート快挙 What a wonderful world

今朝のオリンピックの女子フィギュアスケート競技で、坂本花織さん以下三人が2位から4位を独占したというのは、多くの日本人にとって大きな喜びでした。

米国のアリサ・リウの素晴らしい演技を見たら、日本人が金メダルを取れなくても、それなりに納得できた方も多いのかと思います。

銀メダルの坂本花織さんのスケーティングは本当に伸び伸びとした美しいものでした。

銅メダルの中井亜美さん、17歳で本当に楽しそうに演技している姿は感動的でした。二日前のショートでの笑顔に感心しました

彼女が使った曲は、What a wonderful world(何と素晴らしい世界なのか)という曲です。

この曲の歌詞の意味を知り、これに合わせて踊るなら、顔は自然に笑顔になるのは当然と思えました。

たまたま日本語歌詞つきの が見つかりました。全く知らない人が歌っていますが、曲の背景までが紹介されて、歌詞も美しく訳されていました。

ナチスドイツの強制収容所を生き残ったヴィトール・フランクルというウィーンの精神科医が、「夜と霧」という体験記録を書いています。多くの人はその悲惨さに目を背けたくなりますが、そこで彼が書いているのは、そのような中でも人間の精神の美しさや強さを見ることができるという洞察です。人は、どんな環境でも、そこに神に創造された世界や人の美しさを発見できるというのです。

あるとき強制収容所に送られるためのすし詰めの列車の中から、囚人たちがオーストリアのザルツブルグの山々に輝く夕焼けを、うっとりと見ていました。人間のすべての尊厳を奪われ、いつ殺されるか分からない状況の中で、誰かが他の人に「世界ってどうして綺麗なんだろう」と、心から尋ねていたというのです。

あるユダヤ人のラビ(聖書教師)が、一人の無神論者から、「これほどの悲惨を体験していながら、どうしてあなたは神を信じることができるのか」と尋ねられました。それに対してラビは、「これほどの悲惨が世界にあるのに、あなたは神を信じずに、どうして人間であり続けることができるのか」と答えたとのことです。

創造主を信じられることこそ、どのような世界にも美しさを発見し、希望を持つことができる鍵になります。

そのことが以下の詩篇115篇に記されています。

詩篇115篇1–18節「主に信頼せよ」

 ギリシャ語七十人訳では114篇と115篇は一つの連続の歌となっています。この詩篇の始まりで、「私たちにではなく」ということばが繰り返され、真ん中に「主 (ヤハウェ) 」という御名が置かれるのは、114篇では主の栄光がイスラエルの民をとおして現わされると描かれていたためとも言えましょう。

 それで改めて、「ただあなたの御名に栄光を帰してください」と強調され、その理由として「あなたの恵み(ヘセド:変わらない愛)とまこと(エメット:真実)のゆえに」という主のご性質が思い起こされます。

それと反対に2節からは、イスラエルの周辺の国々がイスラエルを嘲って、「彼らの神は いったいどこにいるのか」と言うようすが描かれます。それに対して詩篇作者は、イスラエルの神が人々の目に見えないのは、「私たちの神は 天におられる」からであると説明しながら、主の存在は、「その望むところをことごとく行われる」というご自身のみわざによって明らかにされると反論します。

これは、私たちが神を認識できるのは、神を自分の想像力で思い浮かべようとすることによってではなく、歴史や目の前の現実のうちに現わされた神のみわざを見ることによってであるという原則を述べたものです。

4–7節ではそれとの対比で、周辺の国々の偶像の神は、「神のかたち」としての人間に比べて、目には高価に見えても、何の力も持ってはいないという皮肉が描かれます。

その上で、偶像を造り信頼する者も、同じ無能さを抱えていると断罪されます (8節)。

9–11節では、「イスラエルよ」「アロンの家よ」「主 (ヤハウェ) を恐れる者たちよ」という三種の呼びかけから始まり、三度にわたって「主 (ヤハウェ) に信頼せよ」と訴えられます。これこそこの詩篇の核心部分です。

なお、「信頼する」ということばはギリシャ語七十人訳では「望む」という意味のことばで訳されています。それは「信頼」とは、「必死に信じる」というよりも、「安心して待ち望む」という意味があるからです。

さらにそれぞれの節で先の「主 (ヤハウェ) 」を受けて、「この方こそ」という代名詞とともに「助け また盾」と三度繰り返されます。

そして、その上でまず、「主 (ヤハウェ) は私たちをみこころに留め」と言われながら、「祝福してくださる」ということばが四度も繰り返されます (12節)。

「祝福する」とは、「成功、繁栄、多産、長寿などのための力を授ける」という意味があります。これこそ偶像に対比される神の力の現れです。

14、15節では特に「主 (ヤハウェ) があなたがたを増やしてくださるように」という意味での「祝福」が強調されます。

しかも16節では「天」に関して、「主のための天」と言われながら、「地」に関しては「主が人の子らに与えられた」と、この地での祝福が描かれます。

さらに「死人にはできない、主 (ヤハ) をほめたたえることが。沈黙へ下る者たちもできない」と述べられ、今、生かされている私たちが「主 (ヤハウェ) をほめたたえる」(18節私訳) と描かれます。それは「今よりとこしえに至るまで」続けるべきことです。  

ただし、私たちが「主 (ヤハウェ) をほめたたえる」のは、主への信頼から生まれることです。

「信頼」とは、自分の力を抜いて、与えられた責任を果たしつつ、主がもたらしてくださる祝福を待ち望み続けることです。その希望も、主が生み出してくださいます。


【祈り】主よ、私たちに「主に信頼する」ことの安らぎを体験させてください。主の祝福こそが、様々な課題に立ち向かうための「力の源」であることを感謝します。すべての始まりが「私たちにではなく」、「あなたの恵みとまこと」にあるのですから。