先日の教会総会で、小生の73歳での退職と、協力牧師としての再雇用が決められました。
僕の大学時代の友人は、ほとんどみな、悠々自適な生活を送っていますが、僕は相変わらず、時間に追われています。
今日も、午後7時から9時まで上野のJTJ宣教神学校というところで、小預言書のハバクク書とゼパニア書の講義をします。実は、これらの小預言のことばは、イエスご自身が神のみこころを語る際に驚くほど頻繁に、その直接のみことばやそこにある要点を引用しておられました。
これが8回シリーズで最近はほぼ毎週、講義の準備に忙しくしています。 のサイトで、この神学校の働きをご覧いただけます。
これらの神学校では、この社会で生きている人が、地域教会に仕えるために一般信徒としての聖書のの学びやカウンセリングの学びを受けることができます。
最近は、大学の教授だった人や、社会的に評価されている研究機関に勤めていたような高学歴な人も学ぶようになっています。もちろん、学歴に関係なく、どんな人でも受け入れられますから、かなり興味深い経歴の方も学んでいます。しかも、この神学校は、ずっと昔から、インターネットでの海外の方への学びの機会を開いていましたので、米国やドイツ、イタリア、スペインのなどで日本語教会や集会を導いておられる方が参加しています。昨年11月にヨーロッパに行った時も、そのような方々とお会いでき、自分の働きが用いられていることに感謝することができました。
5月以降はモーセ五書、歴史書、詩篇などの講義も入る予定です。
時間的には、少し身体に負担がかかりますが、教えているときは本当に楽しく過ごすことができています。
実際に教室に参加するのは6、7名から10名ぐらいですが、対面での授業はとっても楽しいものです。
またその背後に、本当に多くのインターネット受講者がおり、たまにそのうちの何人かからレスポンスがあるととっても嬉しくなります。
この教会での働きを減らそうとしたとたん、ディボーション誌「みことばの光」やCS教材「成長」、月刊誌「舟の右側」からの連載記事の依頼が来て、四苦八苦しています。本当はもっと自分の本を書き続けたいと思っていたのに、時間が取れずに困っています。
いよいよ来月には、この牧師室を後継者に明け渡します。でも、国立のマンションはとっても良い環境のところなので、うまく働きを続けられるかなと思っています。
今日は最も短い詩篇の紹介です。でもこれはまさに旧約と新約を繋ぐ鍵の詩篇なのかと思います。世界中の人々に向けての呼びかけです。
詩篇117篇1、2節「すべての国民による賛美」
これはすべての詩篇のなかで最も短いものですが、旧約と新約を貫く福音の大切なことが歌われています。原文の始まりは、「ほめたたえよ、主 (ヤハウェ) を」と記され、2節の終わりの「ハレルヤ」は、「ほめたたえよ (ハルル)、主 (ヤハ) を」と訳すことができます。つまり、「ほめたたえよ」という呼びかけがこの詩篇を包んでいるのです。
呼びかけられている相手が、イスラエルの民ではなく「すべての国々」と「すべての国民」であるというのは興味深いことです。なぜなら、旧約においては、イスラエルの民が真の意味で神の民となることで、諸国の民が彼らを見て「このような神を持つ偉大な国民がどこにあるだろうか……このみおしえのすべてのように正しい掟と定めを持つ偉大な国民がどこにいるだろうか」(申命記4:7、8) と言うようになると約束されていたからです。つまり、異邦人はイスラエルの民を通して、彼らの神をほめたたえるようになると考えられていたのです。
しかもここでは「すべての国民」に向けての呼びかけとして、「この方を称賛せよ(誇れ)」とも訳されることばで訴えられています。イスラエルは自分たちが神の特別な選びを受けたことを前提に、主 (ヤハウェ) を「誇る」ことができましたが、今の終わりの時代には、神から離れていた異邦人が特別な選びを受け、「ヤハウェは私たちのことをも特別扱いして、その祈りに耳を傾けてくださる」と喜ぶようになるというのです。
使徒パウロはそのことの不思議を、ローマ人への手紙15章8、9節で「キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者たちのしもべとなられました。父祖たちに与えられた約束を確証するためであり、また異邦人たちもあわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです」と記し、その11節でその根拠としてこの詩の1節を引用します。
つまり、イエスは割礼を受け「真のイスラエル民」となることで申命記4章の約束を成就してくださったのであり、異邦人たちが肉のイスラエルというより、イエスを通して神を知り、イエスの父なる神をあがめるようになるというのが新約で描かれた救いのストーリーなのです。
この2節では、「主の恵みは私たちに大きい。主 (ヤハウェ) のまことはとこしえまで」と歌われますが、「恵み」とはヘブル語のヘセドの訳で「変わることのない愛」とか「契約を守る神の真実」とも訳されることばです。また「まこと」とはエメットの訳で「アーメン」と同じ語根のことばで「確か」であること「信頼できること」を意味します。
それは、モーセが神に、「どうか、あなたの栄光を私に見せてください」(出エジプト33:18) と途方もないことを願ったときに、主ご自身が彼の前を通り過ぎ、ご自身のことを「主 (ヤハウェ) は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す」(同34:6、7) と紹介されたことにも現わされています。
「恵みとまこと」こそが、神の栄光の本質であるというのです。そしてヨハネの福音書1章14節では、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た……この方は恵みとまことに満ちておられた」と記されています。
つまり、イエスこそが神の栄光の「恵みとまこと」を現す方であられたのです。まさに私たちはイエスを通して、神の恵みとまことを体験し、神をほめたたえるのです。
【祈り】イエス様、あなたが神の「恵みとまこと」を異邦人であった私たちに特別に示してくださったことを感謝します。イエスを信じるユダヤ人たちとともに、イスラエルの神を「私たちの神」として心から賛美し、その召しに従う者とさせてください。

