昨日のスポーツクラブで、元気に踊っている方が、イタリアからドーハ経由で帰国予定ができなくなって大変な苦労をしたと言っておられました。燃料価格の高騰は私たちの生活を直撃します。
すべては、米国とイスラエルによるイランへの奇襲攻撃から始まりました。
どう考えても国際法に反する暴挙と見るべきでしょう。この世界は理想ばかりか、常識さえも通じない世界になってしまいました。
ただ一方で、今年1月2日の米国軍がベネズエラのマドゥーロ大統領を拉致拘束したことも誰もが国際法違反の暴挙と思えますが、昨年のノーベル平和賞の受賞者であるベネズエラの反体制指導者のマチャド氏は、トランプ大統領の奇襲攻撃に感謝し、自分の平和賞のメダルを彼に譲った報じられています。ノーベル平和賞受賞者がトランプさんの行為を讃えているのです。
そして先日の日曜日の東京では、イラン人がアメリカとイスラエルの奇襲攻撃に感謝するデモをしています。
残念ながらこのデモはどこの日本の放送局でも無視されました。彼らはそれを深く嘆いています。
昨年11月ドイツを旅して思ったのは、多くの福音的なクリスチャンが移民の急増に心を痛めているという現実です。私の尊敬するアンゲラ・メルケル元首相は大量難民の受け入れを決めた2015年9月4日を欧州の歴史に残る一日であったと、著書「自由」に記しています。しかし現在、多くのドイツ人は、もっと慎重に進めて欲しかったと嘆いています。
ただ、これのもともとの原因は、シリアのアサド政権が、イランの最高指導者のハメネイ氏とロシアのプーチンの徹底的な支援を受けて、反体制派を激しく迫害した結果、多くのシリア人がトルコ経由で欧州に流れたことに始まります。それと以前のベネズエラの独裁者が結びついていました。ひょっとしたら後の時代に、トランプ大統領はこれらの悪の連携を壊してくれたと評価される可能性だってあり得ます。
ただし、16世紀の宗教改革者マルティン・ルターは、「ほんとうに悪い暴君は悪い戦争よりは忍びやすい」と言って、この世の権威を倒すことに反対しましたが、ルターを心から尊敬するボンヘッファーは周到に準備されたヒトラー暗殺計画に加担してしまいました。その気持ちも痛いほどに共感できます。
何事も賛成や反対を一面的には語れない現実が世の中にはあります。しかし、そうであっても私たちが神にある理想を捨ててしまうことは、まさにサタンの思う壺です。
私たちはそれぞれ、「置かれている場で、神の平和を広げる」ために召されています。神は一人ひとりの日々の生き方を問うておられます。
そのような中で覚えるべきなのは詩篇121篇かと思います。
詩篇121篇「私の助けは どこから来るのか」
最初のことばは、「私は目を上げる、山々に向かって」と記されています。この「山々」とは「高き所」と呼ばれる偶像礼拝の場であるとも、エルサレム神殿への巡礼の旅の最終段階で、標高差1200mの登山の助けがどこから来るのかと、途方に暮れている場面とも理解できます。
また、神の創造のみわざとしての美しい山々を見上げて、自分の人生がどなたに依存しているかを思い巡らすということでもよいかもしれません。大切なのは、どの解釈を取ったとしても、「私の助けは主 (ヤハウェ) から来る。天地を造られたお方から」というメッセージにあります。
3–8節では6回にわたって「守る」ということばが繰り返されます。最初に、「主は あなたの足をよろけさせず」という意味で、主は「あなたを守る方」と呼ばれます。その理由が、その方が「まどろむこともない」からと説明されます。主は、私たちの歩みの一歩一歩を見守ってくださるというのです。そしてその方がさらに「イスラエルを守る方」と呼び直され、さらに、「まどろむこともなく 眠ることもない」と繰り返されます。
さらに「主 (ヤハウェ) はあなたの右手をおおう陰」と言われますが、これが具体的に「右手」を守ってくださるというより、詩篇110篇5節で「あなたの右におられる主は 御怒りの日に 王たちを打ち砕かれる」と記されていたように、主が私たちを敵の攻撃から守ってくださる方であるという意味です。
その二つの攻撃が、昼の熱い太陽に打たれることであり、また夜に月に打たれることです。当時は月の光が人間の理性を失わせると言われ、英語でも moonstruck(月に打たれた)ということばが狂気の意味になっています。ここでは夜の月明かりの中で盗賊に襲われることも含めて、そのように記されているとも考えても良いでしょう。
そのことが7節で、「主 (ヤハウェ) は すべてのわざわいからあなたを守り」とまとめられます。さらに「あなたのたましいを守られる」と重ねて記されるのは、肉体の命を超えた「永遠のいのち」を指しているとも考えられます。さらに8節での「行くにも帰るにも……守られる」とは、日常の生活の中で、城壁に囲まれた町を出て野で働き、また戻ってくるということさえも、主ご自身が「今よりとこしえまで」守ってくださるという意味です。
詩篇44篇23節では、これとは反対に「起きてください。主よ なぜ眠っておられるのですか。目を覚ましてください。いつまでも拒まないでください」と訴える祈りがあります。
しかし、使徒パウロはその直前の「あなたのために 私たちは休みなく殺され、屠られる羊とみなされています」というみことばを引用しながら、「しかし、これらすべてにおいても私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です」と告白しています (ローマ8:36、37)。
つまり、パウロは神が眠っておられるように思える苦難の中で神に訴え続け、そのことをとおして、主は「まどろむこともなく 眠ることもない……主は今よりとこしえまでも守られる」という現実を体験できたのです。
【祈り】主よ、たとい私たちの人生に、神が眠っておられるように感じられることがあっても、あきらめずに、あなたの助けを求めることができるように、私たちの祈りを導いてください。そして、主が「私を守る方」であることを力強く証しさせてください。

