昨日(10月15日)の日本経済新聞にイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏による「ウクライナは勝利している」という寄稿が掲載され、心から感動し、涙が出るほどでした。
彼は「ロシアのプーチン大統領が戦争を始めたのは、ウクライナという国家は存在せず、ウクライナ人は実際にはロシア人で、きっかけさえあれば喜んで母なるロシアの一部になるということを世界に証明するためだった」と記しています。それは、「ウクライナはロシアを弱体化させようとたくらむ外国勢力が擁立した偽りの存在である」からだというのです。それがプーチン大統領が「ネオナチ」との戦いと言っている理由だと改めて分かりました。
ところが、実際は、ウクライナ人はこのロシアの圧倒的な攻撃に勇敢に立ち向かい、国を守り続けています。ハラリ氏はそのことを次のように記しています。「国家は土地や民が流す血でできているわけではない。人々の心に刻まれた様々な物語や姿、記憶によってつくられている。この戦争が今後数カ月でいかなる展開を見せようとも、ロシアの侵略と残虐行為とウクライナが払った犠牲は、今後、何世代にもわたり、ウクライナの愛国精神を支える礎となるだろう」
つまり、プーチン大統領の目標がウクライナという国家の破壊にあるならば、ウクライナ人が抵抗を続ける限り、ロシアの敗北は決まってしまうということになります。現実の今年の戦況は、ロシアが支配地を広げているように見えますが、ロシア軍が20万~30万人という代償を払って獲得できたのはウクライナ全土の約0.6%に過ぎないと言われています。
ハラリ氏は、最近の米国のトランプ大統領がウクライナ寄りの姿勢を見せるようになったのは「彼が勝者の側につくのを好む」ことに起因すると失礼なことを書いています。どちらにしても、それほどロシアの焦りがトランプ政権に見えてきているという意味なのかと思われました。
私たちはもちろん、戦争の早期終結を望みます。ウクライナ人にもロシア人の血も戦いで流されることを望みません。ウクライナの土地が何割も失われようとも、ウクライナが本物の国であることが明らかにされるなら、「ウクライナは勝利した」と言えるというのは、本当に大切な視点だと思わされました。
以下の詩篇90篇は葬儀の際によく読まれます。ここでは、幸せに長生きできたという誇りよりも、「どのように生きることができた」かが何よりも大切であると歌われているように思えます。
詩篇90篇「知恵の心を得させてください」
「主よ 代々にわたって あなたは私たちの住まいです」(1節) とは、神が民の真ん中に住んでくださるという現実が、実は、私たちこそが神の神殿の中に生かされているという霊的な現実を指しているということを語ったものです。
それは、「山々が生まれる前から」の、世界が創造されるときからの現実だというのです (2節)。
すべての人間は「神のかたち」、神の現わす「像」として創造されましたが (創世記1:26、27)、この世界全体が神の神殿であり、私たち一人ひとりがその中で神を現わす存在であったはずなのです。
私たちの肉体的な素材は、「土のちり」(創世記3:19) に過ぎません。私たちは神からの「いのちの息」を受けて「人」となりました。です、私たちの存在は徹底的に神に依存しています。神は「人をちりに帰らせ」ることによって、そのことを明らかにされます (3節)。神の時間の感覚からすれば、「千年も 昨日のように過ぎ去り」、私たちのいのちは、野の草のように「うつろい」、はかなく「枯れる」ものです (5、6節)。
ところが、イスラエルは自分たちの創造主、真の守り手である方を忘れ、約束の地に足を踏み入れることを躊躇しました。神よりも、目に見える人を恐れたのです。その結果、多くの人々が、神の「激しい怒りの中に消え去り……自分の齢を 一息のように終わらせま」ました (9節)。
ただし、同時に彼らは40年間の荒野の生活を通して天からのパンによって養われ「主の御口から出るすべてのもの」によって生きることを分からせられました (申命記8:3直訳)。
そして、私たちのこの地の生活も荒野の生活に似た面があり、日々の神からのことばを含む賜物が必要になります。なお、このときにイスラエルの20歳以上の人々が荒野の四十年の生活の中で死に絶えたように、当時の人々の生涯は、七、八十年が限度であり、生涯の「ほとんどは 労苦とわざわい」でした (10節)。
私たちはみな「神のかたち」に創造された「高価で尊い」存在ですが、同時に、そのすべてのいのちは神の神殿の中で、神のみこころひとつで飛び去るものです。私たちは一日一日の歩みが、創造主に依存しているという「知恵の心」を持つ必要があります。
「帰って来てください。主よ」という願いは、モーセがイスラエルの民を約束の地に送り出すに当たっての祈りと考えるべきでしょう。主が民をその地に導いてくださるなら、「朝ごとに」主の恵みに満ち足り、「すべての日に 喜び歌い 楽しむ」ことができます。
私たちは新しいヨシュア(ギリシャ語では「イエス」)によって、すでに、「新しい天と新しい地」のいのちの一部を、荒野の生活のただ中で味わうことができます。そのために何よりも大切なのは、私たちの真の「住まい」である方に信頼し続けることです。
【祈り】主よ、あなたこそが、「私たちの住まい」です。私たちに自分の日を数えることを教え、知恵の心を得させてください。そして、あなたのみことばで荒野の生活を生かし、朝ごとに、あなたの恵みで私たちを満ちたらせてください。