イザヤ40章1〜11節「主を待ち望む者は、新しく力を得る」

2018年12月2日

本日は「救い主」の降誕を待ち望む待降節(アドベント)第一主日です。それは、旧約の民がどのような意味で救い主を待ち望んでいたのかを思い起こすときです。

そうすることによって、私たちに既に与えられた「救い」と、これからどのような「救い」が保証されているのかが分かり、希望が生まれます。 “イザヤ40章1〜11節「主を待ち望む者は、新しく力を得る」” の続きを読む

Ⅱ列王記20章〜23章「主の激しい怒りとイエスにある救い」

2018年11月25日

この世で言われる「悔い改め」とは、自分の罪を反省して、心を入れ替え、行いを改めることです。しかし、人間的な道徳教育で人の心を変えられるぐらいなら、神の御子が十字架にかかる必要などなかったのではないでしょうか。 “Ⅱ列王記20章〜23章「主の激しい怒りとイエスにある救い」” の続きを読む

Ⅱ列王記17章〜19章「逃げでも蛮勇でもない、祈りによる勝利」

2018年11月18日

恐ろしい相手に直面した時、すぐ「逃げ」の姿勢に入る人と、自分の恐怖感情を押し殺しながら「蛮勇」を奮おうとする人がいます。しかし、「恐れ」は神が与えてくださった大切な感覚です。心に沸き起こる様々な感情を優しく受け止めながら、それを神に打ち明けることこそ信仰者の態度ではないでしょうか。 “Ⅱ列王記17章〜19章「逃げでも蛮勇でもない、祈りによる勝利」” の続きを読む

ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」

2018年11月11日

私たちの教会のヴィジョンは、「新しい創造をここで喜び、シャロームを待ち望む」とされています。そして英語のロゴマークが「New Creation : hope for the Shalom」と記されています。Creationの真ん中のが♰と、十字架を示唆しますが、イエスの十字架と復活によって「新しい創造」がすでに始まっています。 “ヘブル3章1〜19節「今日、もし御声を聞くなら」” の続きを読む

ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」

2018年11月4日

「『死』とは何か」という380ページを超える本が売れています。それも原書を半分近くに縮刷したもので、その前半では「魂」の存在が形而上学的に否定されているようです。しかし聖書は、「魂が肉体の束縛から解放されて天国で憩う……」との希望を語っているのでしょうか?それどころかヘブル書では、肉体を持つ人間が、霊的な存在である御使いたちに優っている面があるということが強調されます。 “ヘブル2章5〜18節「死の力を滅ぼした方に従う幸い」” の続きを読む

Ⅱ列王記14章〜16章「神の子としての謙遜と誇りに生きる」

2018年10月28日

多くの人は、成功すると傲慢になり、失敗すると卑屈になります。傲慢から人を人とも思わない傍若無人が、卑屈から被害者意識にとらわれた自己憐憫が生まれます。どちらも愛の交わりを壊すものです。傲慢な人の前では息がつまります。そればかりか、危なくて仕事を任せることはできません。しかし、一方で、誇りを忘れた卑屈な人間はどこかで人を裏切るような気がします。 “Ⅱ列王記14章〜16章「神の子としての謙遜と誇りに生きる」” の続きを読む