多くの人は、「主(ヤハウェ)は、私の飼い主。私は乏しいことがありません。主は私を緑に牧場に伏させ、憩の水際に伴われます。主は私のたましいを立ち返らせ、御名のために、義(ただ)しい道筋に戻されます。たとい、死の陰の谷を歩むことがあっても、わざわいを恐れはしません。あなたが、いつもともにいてくださいますから」という詩篇23篇のみことばに慰めを得ています。 “ヨハネ9章41節〜10章18節「豊かないのちを与えてくださる牧者」” の続きを読む
「戦後七十年を迎えるに当たって」 — 剣を鋤に、槍をかまに打ち直す社会を待ち望みつつ
立川チャペル便り「ぶどうぱん」2015年夏号より
東日本大震災と福島原発事故の後、「これは第二の敗戦である」という論調が数多く見られました。人々は、「想定外」ということばの欺瞞に気づき、「安全神話」という「神話」が作られる日本的な「和」の精神を反省しました。ところがそれから4年も経たないうちに、その反省は風化しているような気がします。つい七十年前の大日本帝国の世界に住んでいた人々は、「神国日本は、最後には必ず勝つ!」という「神話」を守ろうとする「和」の中で、自分の正直な気持ちを押し殺して生きていました。ですから、米国が日本を占領し、その神話を崩してくれたときに、解放された気持ちを味わった人々が驚くほど多くいたように思います。日本のマスコミの論調は一夜にして百八十度変わりました。今、私たちは「体制派」「反体制派」という政治的な枠組みを超えて、日本社会が持つ独特の問題に目を向ける必要があります。決して、過度に卑下することなく、アダムの子孫としての限界に目を開くのです。 “「戦後七十年を迎えるに当たって」 — 剣を鋤に、槍をかまに打ち直す社会を待ち望みつつ” の続きを読む

