新しい天と新しい地を待ち望む礼拝堂

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2013年夏号より

献堂式メッセージ要約

新会堂のステンドグラスは、Glass House NEN 代表の尾崎稔成氏の作品で、聖書が描く「新しい天と新しい地」(イザヤ65章17-25節) の希望を描いたものです。 “新しい天と新しい地を待ち望む礼拝堂” の続きを読む

コロサイ3章1〜11節「隠された新しいいのちが明らかにされる歩み」

2013年6月9日

人はみなどこかで自分を「みにくいアヒルの子」のように思うことがあります。不思議なのは、みんな自分のことをそのように思うことがあるとしたら、実際には、「みにくいアヒルの子」が存在するのではなく、自分をそのように「誤解」している人がほとんどであるということになります。 “コロサイ3章1〜11節「隠された新しいいのちが明らかにされる歩み」” の続きを読む

コロサイ2章6〜23節「キリストにあっての満ち満ちた歩み」

2013年6月2日

「クリスチャンは、こんな場合どう振舞ったら良いのでしょう?」と質問されながら、ふと「そんな外面的なことより、もっとキリストとの生きた交わりを意識して欲しい」と思うことがあります。イエスは、あなたの教会生活ばかりか、仕事や家庭、日常生活に深い関心を持っておられます。 “コロサイ2章6〜23節「キリストにあっての満ち満ちた歩み」” の続きを読む

コロサイ1章24節〜2章7節「キリストにあって歩むとは?」

2013年5月26日

多くの人は、何かの大きな課題や締め切りのある仕事のプレッシャーがないうちには自分の心を平静に保つことができます。しかし、様々なストレスに会うたびに、覆い隠していた古い自分の姿が表にでてきてしまいます。そしていつまでたっても変わらない自分に失望し、自分の生まれ育った環境に起因する自分の弱さや愚かさに自己嫌悪を覚えてしまいがちです。 “コロサイ1章24節〜2章7節「キリストにあって歩むとは?」” の続きを読む

使徒2章「聖霊による礼拝の交わり」

2013年5月19日

しばしば礼拝が、守るべきお勤めになってしまったり、聖書の勉強会になってしまうことがないでしょうか。また、時とともに、出来上がったカルチャーに合わない人が排除されたり、またその反対に、外部の人への配慮ばかりが優先されて信者が駆り立てられるように動かざるを得ないなどということがありえないでしょうか。 “使徒2章「聖霊による礼拝の交わり」” の続きを読む

コロサイ1章15〜29節「キリストの苦しみの欠けたところを満たす」

2013年5月12日

1960年代に、「小さな親切」運動が全国的に盛り上った時期がありましたが、その後、「小さな親切、大きなお世話!」となどと言われ、急速に冷めて行ったと言われます。多くの人は、何か人の役に立ちたいと思っていながら、「余計なお世話」と言われることを恐れ、「私などがやらなくても・・」と自分に言い聞かせます。しかし、今回の東日本大震災を契機に、また少し変化が生まれてきているのかもしれません。 “コロサイ1章15〜29節「キリストの苦しみの欠けたところを満たす」” の続きを読む

アモス3章1節〜5章17節「主(ヤハウェ)を求めて生きよ」

2013年4月21日

しばしば、私たちは、わざわいに会ったとき、「バチが当たった」という解釈をします。聖書を読むときに気を付けなければならないのは、すべてのわざわいは、神の御手にあって、神の御許しの中で起こっているという霊的な現実を知ることと、それに対する解釈を区別することです。 “アモス3章1節〜5章17節「主(ヤハウェ)を求めて生きよ」” の続きを読む

主(ヤハウェ)が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2013年春号より

待望の新会堂が間もなく完成しようとしています。私たちはそのような中で、いろんなことに気遣いながら、様々な人々の必要や様々な危険にも目を向けながら、すべてのことを誤りなく、誠実に成し遂げようと必死になります。

そこで気を付けなければならないのは、いろんなことに心を配りすぎて、主の前に静まり、主のみこころを慕い求めることを忘れてしまうことです。 “主(ヤハウェ)が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい” の続きを読む