ただ神に向かって、私のたましいよ 沈黙せよ〜詩篇62篇5節

 5月末に母が97歳で天に召されてから、ほとんど休む間もなく目の前の課題に向き合ってきましたが、ようやく一息つくことができました。
 今改めて、自分の生涯も振り返りながら、やり残したことの多さ、これからまだまだやってみたいことが頭に浮かんでいます。もう71歳ではありますが…… “ただ神に向かって、私のたましいよ 沈黙せよ〜詩篇62篇5節” の続きを読む

エレミヤ14:1〜17:18「主を捨てる者へののろいと、主に信頼する者への祝福」

2024年6月30日

人の生涯はハプニングに満ちていますが、それこそ、ハッピー(幸せ)の原点です。ハッピー、ハプニングは、古英語 “hap”(ハップ)に由来し、「偶然」を意味します。ただそれはすべて神の御手の中にあります。 “エレミヤ14:1〜17:18「主を捨てる者へののろいと、主に信頼する者への祝福」” の続きを読む

ローマ人への手紙6章12〜23節「罪から解放されて、義の奴隷とされた」 

2024年6月23日

私たちは自分をクリスチャンと呼びます。それは自分を「キリスト・イエスのうちにある者」と自認しているという意味です。あなたは日本人である前に、キリストの王国の中に生かされているのです。それをパウロは、「罪の奴隷」から「義の奴隷」へと変えられたと述べます。 “ローマ人への手紙6章12〜23節「罪から解放されて、義の奴隷とされた」 ” の続きを読む

エレミヤ10~13章「あなたがたの神、主(ヤハウェ)に、栄光を帰せよ」

2024年6月16日

私たちは神を楽しみ喜ぶことができます。しかし、神を自分の目的達成の手段にすることは許されません。そこに偶像礼拝が始まるからです。私たちはこの世の発想の延長で、無意識にせよ、神を「利用する」ような発想になってはいないでしょうか。「楽しむ」ことと「利用する」ことの区別が大切です。 “エレミヤ10~13章「あなたがたの神、主(ヤハウェ)に、栄光を帰せよ」” の続きを読む

国立のマンション解体——置かれた町の平安を求める〜エレミヤ29章7節

 今週、小生が昨年移り住んだ国立(くにたち)市が話題になっています。富士山を眺望できる冨士見通りに建てられた10階建てのマンション(18戸入居予定て)が、完成引き渡し直前に、施主の積水ハウスが解体を決めたということです。
 同社にとっても、入居予定だった方々にとっても本当に大きな損失、また様々な大きな負担がかかってしまいました。 “国立のマンション解体——置かれた町の平安を求める〜エレミヤ29章7節” の続きを読む

ローマ人への手紙6章1〜11節「罪に対して死に、神に対して生きる」

2024年6月9日

私たちは何のために生かされているのでしょうか。ときに伝道や証しのために生かされていると考えすぎると、周りの未信者の方から「あなたそれでもクリスチャンなの」と言われることに敏感になりすぎる、堅苦しい生き方になるかもしれません。 “ローマ人への手紙6章1〜11節「罪に対して死に、神に対して生きる」” の続きを読む

エレミヤ7~9章「悟りを得て主(ヤハウェ)を知るとは?」

2024年5月26日

19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、「すべての生は苦しみである……生は、まるで振り子のように……苦痛と退屈の間を行き来する……人間がすべての苦しみと悩みを地獄に追放したあとでは、天国にはただ退屈しか残らない」という皮肉を言いました。 “エレミヤ7~9章「悟りを得て主(ヤハウェ)を知るとは?」” の続きを読む