マタイ26章30〜46節「悲しみもだえ始めたイエスと眠り続けた弟子たち」

2022年12月25日

私たちは知らないうちに異教的な考え方の影響を受けています。それはしっかりした信仰者は「心が動じなくなるはず」という誤解です。それは西洋ではローマ帝国で広く受け入れたストア主義、あるいは禁欲主義の精神であり、日本では禅仏教や武士道の考え方です。 “マタイ26章30〜46節「悲しみもだえ始めたイエスと眠り続けた弟子たち」” の続きを読む

「きよしこの夜」の原詩とその由来

「きよしこの夜」は世界中で最も有名なクリスマスソングです。以前から、この曲は、1818年のクリスマス・イヴに、ザルツブルグ近郊の小さな村のカトリック教会で、そこの司祭補助のヨゼフ・モールがギターで伴奏をしつつテナーで歌い、作曲者のフランツ・グルーバーがバスで歌ったのが始まりであると知られていました。それは、その教会にあった小さなポジティブオルガンが故障して音が出なかったからのようです。 “「きよしこの夜」の原詩とその由来” の続きを読む

辻岡先生を偲んで、小さないのちを守る会の働き

2022年12月20日(火) 小さないのちを守る会の主催で、故辻岡健象先生の葬儀がJECA中野島教会で行われました。涙と笑いに満ちた、とってもユニークな葬儀でした。いつも微笑みを大切にしていた、まさに辻岡先生らしい葬儀になったかと思います。 “辻岡先生を偲んで、小さないのちを守る会の働き” の続きを読む

「私の主の母が私のところに来られるとは…」(ルカ1:43)

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2022年クリスマス号より

マリアは御使いガブリエルからの受胎告知を受けますが、その後のことが、「マリアはその日々の中で立ち上がって、山地に急いで向かった、ユダの町に」(ルカ1:39私訳) と記されています。それは自分の妊娠を知らされた直後の行動です。ガリラヤのナザレから遠く離れたユダの山地にある町に向かう当時の一般的なルートは、ナザレから東に向かい、ヨルダン川の向こうに下り、川の東沿いを南に歩き、エリコの近くで川を渡り、そこからユダの山地に向かって、まるで登山をするように標高差1200メートルを一気に登るというものでした。これは通常、四日間から一週間の道のりであったと言われます。 “「私の主の母が私のところに来られるとは…」(ルカ1:43)” の続きを読む

イザヤ24章~27章「主 (ヤハウェ) と和 (シャローム) を結ぶ」

2022年12月18日

ある小学生がクラスの中で一人だけ将来の夢を語れなくて、からかわれ、しょげていました。そのことを忘れようとすればするほど、情けない気持ちになりました。 “イザヤ24章~27章「主 (ヤハウェ) と和 (シャローム) を結ぶ」” の続きを読む

映画「ラーゲリーより愛を込めて」——フランクル「夜と霧」〜エレミヤ29章10、11節

先日、今、絶賛上映中の映画「」を見てきました。敢えて今、これを書くのは、「70年前の暗い話など、今更、見たいと思わない……」という方々への励ましのためでもあります。ネタバレにならないように、注意して書かせていただきます。 “映画「ラーゲリーより愛を込めて」——フランクル「夜と霧」〜エレミヤ29章10、11節” の続きを読む

イザヤ21~23章「どこに目を向けて生きるのか」

2022年12月11日

私たちは小さい頃から、いつも自分の人生を自分で管理できるようにと訓練されてきました。確かにそれは大切なことですが、究極的には、仏教が言うような「生、老、病、死」を中心とした四苦八苦は、管理しきれません。仏教は、自分の願望という「煩悩」を消すことによってそれを受け入れるように勧めます。 “イザヤ21~23章「どこに目を向けて生きるのか」” の続きを読む

イザヤ書の救いのストーリー

最近、「ストーリーが世界を滅ぼす」(ジョナサン・ゴットシャル作)という本を読んでいます。今週はドイツで、クーデターを起こそうとした右翼団体が摘発されたというニュースが報じられました。陰謀論を始めとするストーリーが人々を過激な行動に駆り立てることが問題とされています。 “イザヤ書の救いのストーリー” の続きを読む

日本にとってのワールドカップの終わり〜申命記32章39節

サッカーのクロアチア戦は、本当にすばらしい戦いだったと思いますが、最後のPK戦で敗れたというのは、なんとも寂しいですね。多くの人は、「PK戦になったら運のようなものだ……」と言います。だからこそ、日本チームは必死に、延長戦を含めた120分の試合の中で勝敗をつけようと必死に頑張ったのだと思います。 “日本にとってのワールドカップの終わり〜申命記32章39節” の続きを読む