マタイ16章13〜20節「わたしのエクレシアをわたしが建てます」

2021年5月2日

ここでの礼拝を始めた時、イエスご自身が「わたしの教会をわたしが建てる」と言われた約束を大切にしてきましたが、今は、組織に目が向かいすぎることの危険を感じるようになってきました。教会とは神の民の共同体(エクレシア)に他なりませんから、問われているのは組織的な成長よりもそこに愛の交わりが生まれているかということです。 “マタイ16章13〜20節「わたしのエクレシアをわたしが建てます」” の続きを読む

コロナの中で主の臨在とともに歩む〜出エジプト33章4、15、16節

毎日、変異型の新型コロナの猛威のことが話題になっています。この変異型の感染力からするとそう簡単に収束の目処が立たないと考えるべきなのかと思わされています。

ただ、私たちはそのような中で、ともに顔と顔とを合わせて、手を取り合って祈り合うことができない状況下にあります。 “コロナの中で主の臨在とともに歩む〜出エジプト33章4、15、16節” の続きを読む

マタイ16章1〜12節「時のしるしを見分ける」

2021年4月18日

多くの人々は信仰を二つの観点から考えるように思います。第一は、人々から尊敬されるような人格者になるための道です。それはイエスの時代のパリサイ人が示していたものでした。彼らは政治や社会の事情がどのような状態であっても、神の前に敬虔な生き方を貫くという生き方を教えていました。 “マタイ16章1〜12節「時のしるしを見分ける」” の続きを読む

死の恐怖から、恵みの支配の中に生かされる幸い

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2021年イースター号より

新型コロナ感染爆発(パンデミック)から一年あまりが経過しましたが、なお終息の目処は立たず、多くの人々が「恐怖」に囚われています。それは聖書では「死の恐怖」と呼ばれます (ヘブル2:15)。仏教的な価値観では、すべての生き物が避けることができない「死」を受け入れ、生命への執着から解放されるための解脱の道を教えます。しかし、聖書では、「死」は人間にとっての「最後の敵」として、キリストによって滅ぼされるべきものと見られています (Ⅰコリント15:26)。 “死の恐怖から、恵みの支配の中に生かされる幸い” の続きを読む

ヨブ記24〜28章「主を恐れること、これが知恵である」

2021年4月11日

目の前の人と争うことが自分にとって損であると思うとき、相手の方に圧倒的に非があると思っても、1%でも自分の側に非があることに関して謝罪することがあります。しかし、そこには相手への不信感が残ります。 “ヨブ記24〜28章「主を恐れること、これが知恵である」” の続きを読む

私たちはみな癒され、変えられる〜詩篇103篇

ドイツでも英国型の変異種の感染爆発によって、すべての集会が禁止という厳しいロックダウン状態にあります。メルケルさんの支持率も最近は急落状態にあります。それは、何度も経済封鎖をやりながら、それが効果がでないどころか、再び激しい感染爆発の状態にあるからです。 “私たちはみな癒され、変えられる〜詩篇103篇” の続きを読む