「神がおられるなら、どうしてこんなことが許されるのだろう」ということが、ときに「キリストの教会」の中でさえ起きることがあります。しかし、周りにいる人々も私たちもそれぞれ固有の痛みや不安を抱えて生きながらも、神の導きの中で問題のただ中に置かれるとき、そこに痛みと同時に、様々な恵みと新たな愛の交わりを体験することができます。 “マタイ10章5〜23節「天の御国を今この地に」” の続きを読む
詩篇73篇
私の心が苦みに満ち 私の内なる思いが突き刺されたとき
私は愚かで考えもなく あなたの前で 獣のようでした。
しかし 私は絶えずあなたとともにいました。
あなたは私の右の手を しっかりとつかんでくださいました。
あなたは 私を諭して導き
後には栄光のうちに受け入れてくださいます
詩篇73:21-23
自分の心はなぜこうも不安定なのかと思うことがあるかもしれません。また自分で自分の心が制御できなくて嫌になることがあるかもしれません。しかし、それはこの詩篇作者の気持ちでもあります。 “詩篇73篇” の続きを読む
不当な訴えの被害者となった者の祈りの歌〜詩篇64篇
不当な訴えというのは、残念ながら人間の歴史から無くなることはありません。意外に身近なところでも本当に突然そのような渦中に巻き込まれることがあるかもしれません。 “不当な訴えの被害者となった者の祈りの歌〜詩篇64篇” の続きを読む
なぜ、詩篇を祈るのか?「御手の中で」
4月1日から最近まで毎日のように詩篇の祈りを配信してきました。これからはずっと頻度が少なくなると思いますが、「なぜ、詩篇の祈りなのですか?」、「この不安の中でもっと、分かりやすいメッセージが欲しい……」という声もあることは承知しています。 “なぜ、詩篇を祈るのか?「御手の中で」” の続きを読む
オラトリオ「エリヤ」の歌〜詩篇37篇
私たちの教会は、今度の日曜日から注意深く三密を避けるため三回に分けて礼拝を始めることを決めました。そのとたん「東京アラート」が発信されました。今のところそれで予定を変えようという話は出ておりませんが、つくづく、「あなたがたには、明日のことは分かりません」(ヤコブ4:14) というみことばが迫ってきました。 “オラトリオ「エリヤ」の歌〜詩篇37篇” の続きを読む
黙想の歌〜詩篇131篇
最近のアメリカや日本のニュースでは、徹底的に相手をやり込める論調が目立って悲しくなります。日本の場合はそれが暴動にまでならないのは幸いですが、ネットの世界での誹謗中傷はひどいものがあると言われます。それが冷静な分析を職業とする学者の間にも広まっており、「科学的」ということばが一人歩きすることがあります。 “黙想の歌〜詩篇131篇” の続きを読む
「神よ、私のためにさばいてください」〜詩篇43篇
昨日、厚生労働省から贈り物が届きました。今、巷で「アベノマスク」とか呼ばれているものです。早速、着用してみましたが、何か、とっても悲しい気持ちになりました。「これは何に使うことができるのだろう……僕には小さすぎる……あまりにも中途半端……」と思えたからです。 “「神よ、私のためにさばいてください」〜詩篇43篇” の続きを読む
ガブリエルのオーボエ〜詩篇39篇
政府の緊急事態宣言が解除されそうですが、何か手放しで喜べない現実が続きます。いろんなことをことばにしようとしても、何か空しく思えるときがあります。 “ガブリエルのオーボエ〜詩篇39篇” の続きを読む

