ヘブル9章15〜28節「新しい契約を実現したキリストの血」

2019年4月14日 

昔の人々は、自分の聖書をじっくり読むなどということはできませんでした。私の父も聖書をほとんど読むこともなく信仰告白に導かれました。それは旭川の教会の牧師が何度も父を訪ね、簡潔に福音を語ってくださったおかげです。

そのようなときに用いられるのが、「血を流すことがなければ、罪の赦しはありません」(9:22) とか、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(9:27) というみことばです。 “ヘブル9章15〜28節「新しい契約を実現したキリストの血」” の続きを読む

ヘブル9章1〜14節「キリストの血が、良心をきよめる」

2019年3月31日 

人生の中で、何度か自分で自分を赦すことができないと思うほどの大きな罪を犯すことがあるかもしれません。その中で、神と教会に対して、「会わせる顔がない……」という思いになったり、激しい痛みを味わいながら「これは自業自得だから……」と、真正面から神に訴えられない気持ちになることもあるでしょう。

それはあなたの心の奥底の「良心」が機能しているしるしとも言えますが、同時にそれは、「自分を神」として、神の救いを退けようとする「良心の誤作動」の現れとも言えましょう。 “ヘブル9章1〜14節「キリストの血が、良心をきよめる」” の続きを読む

詩篇133篇、134篇「主にある交わりへの祝福」

2019年3月24日 

日本語の「教会」とはギリシャ語のエクレシアの訳で、それは「召し出された者たちの集まり」と訳すこともできることばです。その本質は「教えを受ける会」ではなく、「互いに愛し合う共同体」です。

そのように言われる割には、「この教会には愛がない」と言われる現実がどの教会にもあります。新興宗教の交わりの方がずっと愛があるように思えることがあっても不思議ではありません。しかしそれは私たちの信仰が、一人ひとりが、たったひとりで創造主と向き合うということが信仰の基礎にあることの逆の面でもあります。 “詩篇133篇、134篇「主にある交わりへの祝福」” の続きを読む

ヘブル7章26節〜8章13節「よりすぐれた契約の仲介者」

2019年3月17日 

旧約、新約聖書という区分けは、福音がローマ帝国に広がり、同時に様々な誤った教えが生まれ始めた紀元180年頃に言われ始めたとのことです(イエスの十字架から約150年後)。

ヘブル8章13節などを見ると「旧約聖書は古びている」とも誤解されかねません。しかし、パウロが伝道したギリシャ北部のベレアの信徒に関しては、「この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた」(使徒17:11)と描かれていましたが、彼らが調べたのは旧約聖書です。 “ヘブル7章26節〜8章13節「よりすぐれた契約の仲介者」” の続きを読む

2018年度(第26期)ふれあい修了式

3月12日素晴らしい春の陽気の中で、ふれあい教室の修了式で5人のお友達が卒業しました。礼拝堂で高橋牧師のメッセージを聞いて、イエス様はお母さんと同じようにいつも近くにいるから、「喜び」「祈り」「ありがとう」と言おうねと分かりやすく教えられました。智美先生のバイオリン&俊子先生のピアノの「このままのすがたで」はステンドグラスの優しい光に包まれて、それはそれは美しい調べでした。みんなで賛美できてとっても嬉し乗ってかったです。修了証書を一人ひとり神妙に受け取りに行く姿は一年の成長を感じることができました。

ホントに毎週神さまが子供たちを愛し守って下さっている大いなる力を体験できた貴重な一年でした。アルバム作りが楽しかったです。愛情いっぱいのお祝いご膳を賑やかに頂きました。この写真に載っていませんがもっともっとご馳走がありました。

最後に何度も何回も「ぎゅっぎゅっぎゅう~」してお別れしました。

来年度もこの素晴らしいご奉仕ができるように心から祈る時でした。

みんな一年間どうもありがとう。ホントにだぁ~い好きよ

詩篇131篇「乳離れした児のように」

2019年3月10日 

詩篇131篇は120篇から134篇まで続く「都上りの歌」の一つで、これらの中心主題はエルサレム神殿への巡礼の旅です。私たちも「堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んで……はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白」しているという旅の途中にあります(ヘブル11:9,13)。

私たちは今、ここでの生活が、旅の途中にあると思えば、少々の居心地の悪さに耐えることができます。また様々の分からないことがあっても、「やがて分かる」という希望の中で「待つ」ことができます。 “詩篇131篇「乳離れした児のように」” の続きを読む

今年最後のふれあい教室でした!

今日は、2人の男の子たちが元気に参加してくれました! ゆいとくんとしんじくんは、ずいぶん仲良しになり、2人でぐるぐるぐるぐる走っていました^^  フラッシュカードの時も二人とも大きい声を出してくれました。

メッセージは、イエスさまの復活という難しい箇所でしたが、「からになったおはか」という紙芝居を集中して聞いてくれました。智美先生の視覚教材が分かりやすかった!と好評でした。(イエスさまの十字架の苦しみを赤いセロファンで爽やかに?表現し、罪ある私たちが、イエスさまを信じるとき、イエスさまと同じ姿に変えられるというのを白い洋服で表現しました)     弟子たちが復活のイエスさまに会ったとき、みんな心に喜びがわいてきました。私たちもイエスさまと歩む中で、たくさんの喜びをいただきたいですね。

今日の絵本は、「ぜったいに押しちゃダメ」という不思議なボタンのお話。俊子先生が楽しく読んでくださいました。

工作は、修了式のときに飾る「わつなぎ」をみんなで作りました。カラフルな色の組み合わせを見ていると、楽しい気持ちになります。

来週はいよいよ修了式です。 お天気も守られて、全員参加のすばらしい式になりますようにお祈りします! スタッフが一生懸命作った一人一人違う写真を貼ったアルバムもお楽しみに♪  1年間のふれあい教室の活動が守られましたことも感謝です。お祈りありがとうございました!!! “今年最後のふれあい教室でした!” の続きを読む

ヘブル7章1〜25節「私たちを完全に救うことができる大祭司」

2019年3月3日 

人は何かのすばらしさを説明する時、「あれにはこのような問題があったけれども、これは、このような点ではるかにまさっている」というように、以前の問題点を明らかにしながら良い物を提示するという発想が身についています。そのような発想で、「旧約には大昔の厳しい教えがあるけれど、新約には神の優しがが満ちている……」などと言われることがあります。そのうちに、「新約聖書と詩篇だけあれば神様のことは分かります。救いの基本とは、イエス様を信じることで罪が赦され、たましいが天国に憩うということですから……」と、福音を過度に単純化しかねません。 “ヘブル7章1〜25節「私たちを完全に救うことができる大祭司」” の続きを読む