私たちはときに、「あのときは、どうしてあのようなことを私ができたのだろう……不思議にごく自然に身体が動いた」という体験をすることがあります。それこそ「主 (ヤハウェ) 」が「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15) と約束されたことの成就です。 “出エジプト1~4章「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」” の続きを読む
ローマ16章20〜27節「信仰の従順を生み出す福音」
私たちはどんな罪人であっても、イエスを救い主と信じることで「永遠のいのち」が保障されます。それを明らかにするローマ人への手紙は、「行い」ではなく「信仰」によって神の前に義と認められるという「信仰義認」のテキストとしてばかり見られる傾向があります。 “ローマ16章20〜27節「信仰の従順を生み出す福音」” の続きを読む
ヘブル人への手紙12章1〜3節「身近な証し人として」
2025年8月24日(寺村師)
創世記37章~50章「夢を見させ実現してくださる神」
「あのことのせいで……」という恨みや後悔に囚われている時、より大きな神の物語の中に「自分の居場所」を見出せるなら「赦し」と「和解」がずっと楽になります。 “創世記37章~50章「夢を見させ実現してくださる神」” の続きを読む
ヘブル人への手紙13章7〜16節「新しい契約におけるささげ物」
2025年8月10日(寺村師)
ローマ16章1〜20節「世界を変えた28人とその仲間たち」
パウロがローマ教会に宛てた手紙では26人の信者が特別な挨拶を受けています。同教会の信者数は立川教会とそれほど変わりはしなかったと思われます。その教会が後に世界の歴史を変えたことは歴史的に否定できない事実です。 “ローマ16章1〜20節「世界を変えた28人とその仲間たち」” の続きを読む
ヘブル人への手紙13章15、16節「コイノニア」
2025年7月27日(寺村師)
創世記27章~33章「主の祝福がもたらす豊かさ」
多くの人々は、富や名声に惹かれて依存症の罠にはまります。確かに富も力も人間関係も極めて大切ですが、それらすべてをもたらす方がどなたなのかを忘れてはいないでしょうか? “創世記27章~33章「主の祝福がもたらす豊かさ」” の続きを読む
ヘブル4章12、13節「みことばに生かされる教会」(早坂恭先生)
2025年7月13日
早坂恭先生(東村山福音自由教会牧師)
コリント人への手紙第二9章1〜5節「祝福の贈り物として」
2025年7月6日(寺村師)