詩篇55篇「あなたの重荷を主 (ヤハウェ) にゆだねよ」

2025年10月26日

新渡戸稲造は日本の「武士道」とキリスト教精神に共通点があることを描き、その著書は国際的なベストセラーになりました。確かに高い道徳律という面では共通点があるのでしょう。 “詩篇55篇「あなたの重荷を主 (ヤハウェ) にゆだねよ」” の続きを読む

出エジプト記13~18章「『主 (ヤハウェ) は私たちの中におられるのか』と主を試みる」

2025年10月12日

私たちの心は、過去の痛みを忘れられるからこそ、ストレスを抱え続けないで生きて行けるのかもしれません。しかし、だからこそ、忘れてはならないことを覚え続けるため、記念の儀式が必要になります。 “出エジプト記13~18章「『主 (ヤハウェ) は私たちの中におられるのか』と主を試みる」” の続きを読む

出エジプト記4章18節~12章42節「私たちに与えられた救いとは?」

2025年9月21日

今から三千数百年前、聖書の神ヤハウェは、奴隷の民「へブル人の神」(5:3) に過ぎない存在でした。一方、世界最強のエジプトの王ファラオは太陽神の化身と見られ、すべてが可能になる支配者と見られていました。この王が奴隷民族の神にひざまずくなど、当時の誰が予想できたでしょう? “出エジプト記4章18節~12章42節「私たちに与えられた救いとは?」” の続きを読む

出エジプト1~4章「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」

2025年9月7日

私たちはときに、「あのときは、どうしてあのようなことを私ができたのだろう……不思議にごく自然に身体が動いた」という体験をすることがあります。それこそ「主 (ヤハウェ) 」が「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15) と約束されたことの成就です。 “出エジプト1~4章「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」” の続きを読む

ローマ16章20〜27節「信仰の従順を生み出す福音」

2025年8月31日

ローマ人への手紙16章20–27私訳と関連聖句

私たちはどんな罪人であっても、イエスを救い主と信じることで「永遠のいのち」が保障されます。それを明らかにするローマ人への手紙は、「行い」ではなく「信仰」によって神の前に義と認められるという「信仰義認」のテキストとしてばかり見られる傾向があります。 “ローマ16章20〜27節「信仰の従順を生み出す福音」” の続きを読む