新渡戸稲造は日本の「武士道」とキリスト教精神に共通点があることを描き、その著書は国際的なベストセラーになりました。確かに高い道徳律という面では共通点があるのでしょう。 “詩篇55篇「あなたの重荷を主 (ヤハウェ) にゆだねよ」” の続きを読む
ヨハネ10章1〜18節 「いのちを差し出す牧者」
2025年10月5日(寺村師)
出エジプト記13~18章「『主 (ヤハウェ) は私たちの中におられるのか』と主を試みる」
私たちの心は、過去の痛みを忘れられるからこそ、ストレスを抱え続けないで生きて行けるのかもしれません。しかし、だからこそ、忘れてはならないことを覚え続けるため、記念の儀式が必要になります。 “出エジプト記13~18章「『主 (ヤハウェ) は私たちの中におられるのか』と主を試みる」” の続きを読む
エゼキエル34章17〜31節 「わたしの群れをさばく牧者」
2025年10月5日(寺村師)
エゼキエル書34章1〜16節「自分を養う牧者と真の牧者」
2025年9月28日(寺村師)
出エジプト記4章18節~12章42節「私たちに与えられた救いとは?」
今から三千数百年前、聖書の神ヤハウェは、奴隷の民「へブル人の神」(5:3) に過ぎない存在でした。一方、世界最強のエジプトの王ファラオは太陽神の化身と見られ、すべてが可能になる支配者と見られていました。この王が奴隷民族の神にひざまずくなど、当時の誰が予想できたでしょう? “出エジプト記4章18節~12章42節「私たちに与えられた救いとは?」” の続きを読む
ヨハネ福音書21章15〜19節「三度目の問い」
2025年9月14日(寺村師)
出エジプト1~4章「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」
私たちはときに、「あのときは、どうしてあのようなことを私ができたのだろう……不思議にごく自然に身体が動いた」という体験をすることがあります。それこそ「主 (ヤハウェ) 」が「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15) と約束されたことの成就です。 “出エジプト1~4章「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」” の続きを読む
ローマ16章20〜27節「信仰の従順を生み出す福音」
私たちはどんな罪人であっても、イエスを救い主と信じることで「永遠のいのち」が保障されます。それを明らかにするローマ人への手紙は、「行い」ではなく「信仰」によって神の前に義と認められるという「信仰義認」のテキストとしてばかり見られる傾向があります。 “ローマ16章20〜27節「信仰の従順を生み出す福音」” の続きを読む
ヘブル人への手紙12章1〜3節「身近な証し人として」
2025年8月24日(寺村師)

