2010年5月2日
私たちはみな、様々な恐れに囚われて生きています。しかし、私は長い間、自分の心の中にある漠然として「恐れ」を無視して生きてきました。確かに、傍から見ると、私は自分で自分の道を次々と切り開いてきた人のように見られることでしょう。自分でも「僕は臆病ではない!」と言い張りたい気持ちがあります。 “イザヤ41章1節〜42章9節「たじろぐな。わたしがあなたの神だから」” の続きを読む
2010年5月2日
私たちはみな、様々な恐れに囚われて生きています。しかし、私は長い間、自分の心の中にある漠然として「恐れ」を無視して生きてきました。確かに、傍から見ると、私は自分で自分の道を次々と切り開いてきた人のように見られることでしょう。自分でも「僕は臆病ではない!」と言い張りたい気持ちがあります。 “イザヤ41章1節〜42章9節「たじろぐな。わたしがあなたの神だから」” の続きを読む
2010年4月18日
私たちは基本的に自分の力を、他の人との比較で計ります。そのため人の心の中には、以下の詩にあるような醜い思いがあるのではないでしょうか。「もし私の隣人が 私より強いならば、私はその人を怖れる。/ もしその人が 私より弱ければ、私はその人を軽蔑する。/ もし私とその人とが 同じであれば、私は詭計に訴える。/ 私がどのような動機をもっていたら、その人に服従することができ、/ 私にどのような理由があったら、その人を愛することができるのだろうか」(ジャン・ド・ルージュモン) “イザヤ40章「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ」” の続きを読む
2010年4月4日 イースター
キリストの復活のしるしは何よりも弟子たちの変化に見られます。イエスの弟子たちは私たちと何も変わらない平凡な人々でした。しかし、その彼らが、死をも恐れず、イエスの復活を証する大伝道者になっています。何しろ、イエスの伝道の生涯はたったの三年間に過ぎません。これは仏陀やマホメットなどとは大違いの短さです。 “ルカ23章50節〜24章12節「キリストの復活を今ここで体験する」” の続きを読む
2010年3月28日
ルカが描くイエスの十字架の場面は、何と美しいことでしょう。十字架刑という最もおぞましい刑罰が、そのみにくさの描写を最小限に抑えながら、イエスが死に至るまで隣人を愛し、神に信頼し続けた様子が描かれています。十字架は、救い主の悲劇ではなく、愛の勝利として描かれています。 “ルカ23章32〜49節「十字架上で輝くイエスの愛」” の続きを読む
2010年2月28日
私たちは、「どうして、自分ばかりがこんな嫌な目にあわなければならないのか・・・」とつぶやきたくなることが多くあります。しかも、自分の労苦が報われる代わりに、不本意に担わされてしまった責任に対して、不当な非難を受けることがあります。それを警戒するからこそ、私たちは、互いに、責任を押し付けあう傾向があります。 “ルカ23章13〜31節「あの人がどんな悪いことをしたというのか」” の続きを読む
2010年2月14日
黙示録は聖書の中で最も誤解されやすい書物のひとつです。しかし、これは信仰者にとって不可欠な励ましの書です。22章10節に、「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである」と記されていますが、これは、たとえばダニエル書で、終わりの日の幻に関して、「あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ」(12:4、9) と記されているのと対照的です。またこの書は、英語では、Revelation(啓示)と呼ばれるように、これは隠されたことばではなく、信仰者すべてに特別に明らかにされた希望のことばです。 “黙示録の要約「大バビロンの誘惑に耐える」” の続きを読む
2010年2月7日
無教会の指導者、矢内原忠雄氏は1920年から37年まで東京大学で、国際連盟に転出した新渡戸稲造の後継者として植民政策の講座を担当、多くの研究業績をあげますが、その平和主義思想のゆえに大学を追われました。 “エゼキエル47章13節〜48章35節「主はここにおられる」” の続きを読む
2010年1月31日
17世紀最高の科学者パスカルは、「あることが私の気に入ったり、気にさわったりする」というのは、何かの理由があるという以前に、「気にさわるからこそ、その理由が見つかるのだ」と言いました(パンセ276)。 “ルカ22章63節〜23章12節「自分の都合によってイエスをさばく人々」” の続きを読む
2010年1月24日
エゼキエル40章以降をどう解釈するかは、今後の世界の歴史を見る上での鍵となります。ここには、世界中からイスラエルの民が集められ、エルサレムに理想的な神殿と礼拝が実現することが記されています。 “エゼキエル40章〜47章12節「生ける水の川が流れ出る」” の続きを読む
2010年1月17日
旧約聖書を初めて通読した頃、私はいつも自分の不信仰に悩んでいました。しかし、エゼキエル36章26節の、「わたしは、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける」というみことばに深く感動しました。 “エゼキエル36章16節〜39章「神のみわざに心を開く幸い」” の続きを読む