Ⅱサムエル11章〜13章19節「ダビデの恐ろしい罪と神の赦し」
2007年1月28日
失敗をした言い訳に、「ストレスを受けていたから……」と言われることがありますが、人が道を踏み外すのは順調であるときの方が多いかもしれません。だからこそダビデは詩篇19篇で「このしもべの高慢を抑え、支配させないでください。それで私は完全にされ、重い罪からきよめられます」と祈っています。それは彼の反省から生まれているのでしょうが、不思議にも、ここでは彼が犯した恐ろしい罪の動機はほとんど分析されていないかのようです。 “Ⅱサムエル11章〜13章19節「ダビデの恐ろしい罪と神の赦し」” の続きを読む
詩篇62篇「ただ神に向かって、私のたましいよ、沈黙せよ」
詩篇62篇(交読文)
指揮者のために。エドトンによって。ダビデの賛歌
詩篇16篇「私はいつも、目の前に主 (ヤハウェ) を置いた」
2007年1月1日 “詩篇16篇「私はいつも、目の前に主 (ヤハウェ) を置いた」” の続きを読む
詩篇8篇「人とは何者なのでしょう」
2006年12月24日 “詩篇8篇「人とは何者なのでしょう」” の続きを読む
ルカ12章13〜34節「あなたのたましいへの気遣い」
2006年12月3日
身体を、健康に、美しく保つための施設が注目を集めています。しかし、「たましい」への気遣いが忘れられてはいないでしょうか?ダビデはサウルから逃げ回り、荒野にいながら、「私のたましいは、あなたに渇き・・・こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています・・・私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように・・・喜びにあふれて賛美します」(詩篇63:1,2,5)と歌っています。あなたの「たましい」はどのように養われ、装われているのでしょうか? “ルカ12章13〜34節「あなたのたましいへの気遣い」” の続きを読む
詩篇18篇「主が私を喜びとされたから」
2006年11月26日 “詩篇18篇「主が私を喜びとされたから」” の続きを読む
詩篇1篇〜2篇「幸いな人」
2006年11月19日 “詩篇1篇〜2篇「幸いな人」” の続きを読む
ルカ11章53節〜12章12節「神を恐れる者が体験する自由」
2006年9月24日
聖書は、この世に人間の尊厳を教えてくれました。しかし、同時に、人々が聖書を「道徳の書」かのように受け取るようになったとき、最も大切な真理が見過ごされることになりました。それは、全宇宙の創造主が、私たちを恋い慕ってくださり、私たちの一途な愛の応答を求めておられるという、愛の関係です。 “ルカ11章53節〜12章12節「神を恐れる者が体験する自由」” の続きを読む
ルカ11章33〜52節「神よりも自分を見る信仰の愚かしさ」
2006年9月10日
私たち信仰者が陥り易い過ちは、創造主である神を愛するというより、自分の信仰の姿勢を見てしまうことではないでしょうか。それは、ある人を恋していると言いながら、その人のことを表面的にしか知らず、ただ「恋に恋している」ということと同じです。それはナルシズムであって、真の愛ではありません。 “ルカ11章33〜52節「神よりも自分を見る信仰の愚かしさ」” の続きを読む

