多くの人が言い知れない倦怠感、空虚感や孤独感を味わっています。それは、「自分の都合」を最優先できる世の中になった結果かもしれません。真に畏敬されるべき方を知ることなしに、命を賭けるに価する喜びも、生きる意味も目的も見出すことはできるのでしょうか。 “出エジプト24章12節〜31章17節「主が求めておられる礼拝とは?」” の続きを読む
出エジプト20章18節〜24章11節「神の民とされるための契約」
ある人が、「マザー・テレサ、あなたはものを無償で与えて、貧しい人を甘やかしています」と批判したところ、彼女は「お金持ちを甘やかしている修道会はたくさんあります。貧しい人々を甘やかす修道会がひとつぐらいあっても良いでしょう」と答えました。確かに、この世の道徳は、貧しい者に厳しく、富む者に甘くなりがちです。 “出エジプト20章18節〜24章11節「神の民とされるための契約」” の続きを読む
出エジプト19章1節〜20章21節「十のことば」
「十戒」として親しまれている神の御教えは、聖書では「戒め」というより「十のことば」(34:28、申命記4:13,10:4)と描かれます。私は昔、「十戒」が罪を指摘し、キリストの十字架が罪の赦しを与えるという構図で理解していました。 “出エジプト19章1節〜20章21節「十のことば」” の続きを読む
出エジプト15章22節〜18章「歓喜の後のつぶやき」
本日は教会歴では「しゅろの主日」と呼ばれる受難週の始まりの日です。イエスは十字架に架けられるたった五日前に、「ダビデの子にホサナ」というエルサレムの人々の歓呼の中を、エルサレムに入城しました。彼らはイエスがローマ帝国からの独立運動を勝利に導く救い主として期待していました。 “出エジプト15章22節〜18章「歓喜の後のつぶやき」” の続きを読む
出エジプト12章43節〜15章21節「主があなたのために戦われる」
自分の身近なところで、犠牲者の血が流されている現実に直面するとき、また、それを思い起こすようなとき、人は、不条理に対する怒りを超えて、自分の人生を厳粛に受け止めるという思いになるということがないでしょうか。神は、イスラエルの救いのために流されたエジプト人の犠牲を、忘れさせないようにしておられます。 “出エジプト12章43節〜15章21節「主があなたのために戦われる」” の続きを読む
出エジプト8章1節〜12章42節「心が強くされることの悲劇」
しばしば、人は、信仰の成長を、「心が動じなくなること」と誤解してはいないでしょうか。今日の箇所では、パロの心が動じないことによって、エジプト人がどれだけ苦しんだかが描かれます。そして、現代の世界では、心が動じないテロリストと政治家との狭間で、どれだけ多くの悲惨な犠牲者が出ていることでしょう。 “出エジプト8章1節〜12章42節「心が強くされることの悲劇」” の続きを読む
出エジプト4章18節〜7章25節「この地の真の支配者」
現代の感覚で聖書を読むと誤解が生まれます。今から三千数百年前、民族ごとに異なった神々が礼拝されていました。聖書の神ヤハウェは、奴隷の民「へブル人の神」(5:3)としか見られていませんでした。 “出エジプト4章18節〜7章25節「この地の真の支配者」” の続きを読む
出エジプト1章1節〜4章17節「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」
ある方がご主人の介護で、危険な場面があったことを振り返りながら、「あのときは、どうして、あのようなことを私ができたのだろう・・・不思議にごく自然に身体が動いた」と言っておられました。それこそ、「主ヤハウェ」が、「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15)と約束してくださったことの成就です。 “出エジプト1章1節〜4章17節「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」” の続きを読む
出エジプト33章12節〜34章10節「主の臨在に導かれる」
2012年7月15日
私たちはひとりひとり、神との個人的な出会いをした結果として信仰生活を始めることができました。しかし、多くの人々が、「あの感動をもう一度・・」と求めながら、それを見失って行きます。それは神が私たちを神秘体験の奴隷にしないためでもあります。 “出エジプト33章12節〜34章10節「主の臨在に導かれる」” の続きを読む

