昨年の元旦は In to the unknown(未知の旅に踏み出そう)という「アナと雪の女王」Ⅱの主題歌からメッセージを始めました。すると「新型コロナウィルス」の世界的な蔓延という未知の領域に足を踏み出してしまいました。昨年流行した「鬼滅の刃」のテーマの「全集中の呼吸」で私たちの感覚を研ぎ澄まし、見えないウィルスを回避する戦いを続けなければなりません。 “イザヤ43章10〜21節「見よ、新しいことを わたしは行う」” の続きを読む
イザヤ43章黙想
「恐れるな。私があなたを贖ったのだから」(イザヤ43章1節)
Do no be afraid, for I have redeemed you.
一昨日の国会で「新型コロナ「東京型エピセンター」発生!?」という専門家の意見が出され、このままでは東京は大変なことになるとの報告がなされました。
一瞬、このままここで礼拝を開いて良いのかと、恐れを抱き、それから改めていろいろ調べてみました。そして調べれば調べるほど、専門家と言われる方の中にもいろんなご意見があることが改めて分かってきました。それに対する教会の対応も様々です。 “イザヤ43章黙想” の続きを読む
イザヤ43章1〜4、10〜21節「見よ、新しいことをわたしは行う」
In to the unknown(未知の旅に踏み出そう)という「アナと雪の女王」Ⅱの主題歌が紅白歌合戦で、19歳の新人によって歌われていました。彼女はつい数か月前までスーパーでアルバイトをしながらアナ雪日本語版のオーディションで認められました。まさに未知の旅への「新しいこと」が始まったとも言えましょう。 “イザヤ43章1〜4、10〜21節「見よ、新しいことをわたしは行う」” の続きを読む
イザヤ11章〜12章「未知の旅の先の平和を夢見て」
「アナと雪の女王」 Ⅱの主題歌で In to the unknown(未知の旅に踏み出そう)という曲があります。自分の中で今ここにある平穏な生活から抜け出て、未知の世界に踏み出す必要があるという歌です。それは、現在の平和の背後に過去の偽りがあったからです。雪の女王のエルサはそれを正すために特殊な力が与えられているというのです。 “イザヤ11章〜12章「未知の旅の先の平和を夢見て」” の続きを読む
イザヤ48章12〜22節「あなたの平安は川のようになったであろうに」
多くの人々は、天国の祝福以前に、地上の歩みにおける平安を求めていますが、旧約聖書でも、死後の希望以前に、地上的な苦しみと「平安 (シャローム)」のことが書いてあります。
私たちの人生にはストレスの種が満ちていますがアーロン・アントノフスキーというユダヤ人の医療社会学者は、ナチスの強制収容所という想像を絶するストレスを体験したユダヤ人を徹底的に調査した結果、その後に心の健康を回復して人生を豊かに生きた人の割合が予想外に多いという事実を発見します。 “イザヤ48章12〜22節「あなたの平安は川のようになったであろうに」” の続きを読む
イザヤ40章1〜11節「主を待ち望む者は、新しく力を得る」
本日は「救い主」の降誕を待ち望む待降節(アドベント)第一主日です。それは、旧約の民がどのような意味で救い主を待ち望んでいたのかを思い起こすときです。
そうすることによって、私たちに既に与えられた「救い」と、これからどのような「救い」が保証されているのかが分かり、希望が生まれます。 “イザヤ40章1〜11節「主を待ち望む者は、新しく力を得る」” の続きを読む
イザヤ11章1〜10節「平和の完成という希望に生きる」
50年前の日本と現在の違いは、「夢」にあるのかもしれません。当時の夢は愚かしいものだったかもしれませんが、アウシュビッツ収容所を生き延びたユダヤ人精神科医のフランクルは、「ひとつの未来を信じることができなかった人間は収容所で滅亡していった。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落した」と語っています。 “イザヤ11章1〜10節「平和の完成という希望に生きる」” の続きを読む
イザヤ40章「主を待ち望む者は新しく力を得る」
2016年紅白歌合戦のテーマは「夢を歌おう」でした。その中でひと際、歪んだ夢が歌われていました。高橋真梨子さんの「ごめんね」です。そこでは、「好きだったのに、それなのに貴方を傷つけた。ごめんねのことば涙で言えないけど……世界中きっと、いちばん大切な恋を無くしたのね……連れて行って、別離(わかれ)のない国へ」と歌われています。自業自得で苦しみながら、永遠への夢が歌われています。 “イザヤ40章「主を待ち望む者は新しく力を得る」” の続きを読む
イザヤ11章1〜10節「神の平和 (シャローム) をもたらす救い主」
聖書ではイエスの誕生という重大なことが、驚くほど簡潔に記されています。
「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。
それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」
救い主の誕生の様子は、たったこれだけしか描かれていません。たとえば、しばしば聖誕劇では、ヨセフとマリヤがベツレヘムに着いてすぐに宿屋を捜したけれどもどこも満室でどうにか馬小屋に入れてもらったかのように描かれますが、そのようなことは何も記されていません。 “イザヤ11章1〜10節「神の平和 (シャローム) をもたらす救い主」” の続きを読む
イザヤ54章〜55章「神のみことばが歴史を動かす」
イエスはイザヤ52章13節から53章12節にある「主のしもべの歌」をご自分の歌としておられました。そこでは、イスラエルの神が「全世界の王となる」と約束されながら、その「主(ヤハウェ)の御腕」が「現れた」のは、「さげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」方であると記されていました。 “イザヤ54章〜55章「神のみことばが歴史を動かす」” の続きを読む

