私たちは小さい頃から、いつも自分の人生を自分で管理できるようにと訓練されてきました。確かにそれは大切なことですが、究極的には、仏教が言うような「生、老、病、死」を中心とした四苦八苦は、管理しきれません。仏教は、自分の願望という「煩悩」を消すことによってそれを受け入れるように勧めます。 “イザヤ21~23章「どこに目を向けて生きるのか」” の続きを読む
アニミズムと映画「すずめの戸締り」〜詩篇148篇、イザヤ14章4–8
今、日本中で、アニメ映画「すずめの戸締り」が流行っているようです。ついつい僕も昨日、洋子とともにこの映画を見てきました。 “アニミズムと映画「すずめの戸締り」〜詩篇148篇、イザヤ14章4–8” の続きを読む
多様性と同質性〜イザヤ45章22–24節
日本は今、デジタル化を中心に世界の技術革新の急速な流れから取り残されそうな感じになっていますが、その原因として日本の同質性がネックになっている可能性を最近、考えさせられました。多様性が尊重されて初めて、新しい発見や技術革新が、小さなグループで認められ、互いに競合する中で、良いものが多くの人に認められるようになります。日本のような同質性が尊重される世界では、違った発想を持つ人の居場所がなくなってしまうことが、技術革新にはマイナスに働くような気がします。 “多様性と同質性〜イザヤ45章22–24節” の続きを読む
国連本部広場イザヤの壁
日本国憲法の前文には「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」という崇高な理想が掲げられています。 “国連本部広場イザヤの壁” の続きを読む






