金の子牛を作って戯れた民と、神のために命を賭けると豪語したパリサイ人は一見、対照的ですが、自分のイメージした神を礼拝したという点で一致します。 “出エジプト記31章18節~40章38節「神がイスラエルのただ中に住むために」” の続きを読む
出エジプト記20章18節~31章18節「主 (ヤハウェ) を礼拝し、主を現わす共同体」
多くの人が言い知れない倦怠感、空虚感や孤独感を味わっています。それは「自分の都合」を最優先できる世の中になった結果かもしれません。 “出エジプト記20章18節~31章18節「主 (ヤハウェ) を礼拝し、主を現わす共同体」” の続きを読む
出エジプト記19章1節~20章21節「私たちを幸せにする十のことば」
「十戒」と呼ばれる御教えは「戒め」というより「十のことば」(出34:28、申命記4:13、10:4) として描かれます。 “出エジプト記19章1節~20章21節「私たちを幸せにする十のことば」” の続きを読む
出エジプト記13~18章「『主 (ヤハウェ) は私たちの中におられるのか』と主を試みる」
私たちの心は、過去の痛みを忘れられるからこそ、ストレスを抱え続けないで生きて行けるのかもしれません。しかし、だからこそ、忘れてはならないことを覚え続けるため、記念の儀式が必要になります。 “出エジプト記13~18章「『主 (ヤハウェ) は私たちの中におられるのか』と主を試みる」” の続きを読む
出エジプト記4章18節~12章42節「私たちに与えられた救いとは?」
今から三千数百年前、聖書の神ヤハウェは、奴隷の民「へブル人の神」(5:3) に過ぎない存在でした。一方、世界最強のエジプトの王ファラオは太陽神の化身と見られ、すべてが可能になる支配者と見られていました。この王が奴隷民族の神にひざまずくなど、当時の誰が予想できたでしょう? “出エジプト記4章18節~12章42節「私たちに与えられた救いとは?」” の続きを読む
出エジプト1~4章「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」
私たちはときに、「あのときは、どうしてあのようなことを私ができたのだろう……不思議にごく自然に身体が動いた」という体験をすることがあります。それこそ「主 (ヤハウェ) 」が「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15) と約束されたことの成就です。 “出エジプト1~4章「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」” の続きを読む
出エジプト3章1〜14節「わたしのもとに来なさい」(小林祐KGK主事)
2023年8月20日
コロナの中で主の臨在とともに歩む〜出エジプト33章4、15、16節
毎日、変異型の新型コロナの猛威のことが話題になっています。この変異型の感染力からするとそう簡単に収束の目処が立たないと考えるべきなのかと思わされています。
ただ、私たちはそのような中で、ともに顔と顔とを合わせて、手を取り合って祈り合うことができない状況下にあります。 “コロナの中で主の臨在とともに歩む〜出エジプト33章4、15、16節” の続きを読む
出エジプト34章11節〜40章38節「主の栄光を鏡に映すように見ながら」
カトリックの総本山サンピエトロ大聖堂の最高傑作と言えば丸天上のドームです。これは1506年の起工式の際に採用されていた基本設計ですが、実際に始めてみると、当時の技術では予算を大幅に上回る大工事になることが分かりました(現在の東京オリンピック競技場の顛末に似ている)。しかし、大富豪メディチ家の息子からローマ教皇になったレオ10世は、金に糸目をつけずに芸術家を雇い入れ、多額の借金を重ね建設を進めました。ただ、借金返済のために、ドイツでの免罪符の販売を許可し、マルティン・ルターの宗教改革を呼び起こしました。 “出エジプト34章11節〜40章38節「主の栄光を鏡に映すように見ながら」” の続きを読む
出エジプト31章18節〜34章10節「神との対話」
目の前の小さな報酬か、待った後の大きな報酬を選ぶかという心理実験があります。たとえば子供に向かって、「今なら1000円のお小遣いしか上げられないけど、一カ月待ったら1500円あげられるよ」と言って、一か月待つことできる子は、衝動性に打ち勝つとともに、信頼感覚を養ってくることができた子でしょう。 “出エジプト31章18節〜34章10節「神との対話」” の続きを読む

